能満寺のソテツ
能満寺の本堂前には、国指定の天然記念物になっている樹齢1000年と言われる高さ約6m、枝数は約90本のソテツがあります。
このソテツは、大阪の妙国寺のソテツ、静岡市清水区の龍華寺のソテツとともに、日本のソテツの三名木と呼ばれており、1924年(大正13年)、国の天然記念物に指定されました。
主幹は根回り4.5メートル。地面で数十本の大小の枝に分かれ、その中、大枝3本、中枝11本が数えられます。
「能満寺のソテツ」は、安倍晴明が大井川を流れて来た大蛇を見つけ、これを葬り、その上にソテツを植えた。すると、ソテツは、大蛇の精をうけて大きく大蛇のような姿になった。そこで、晴明は、人々に害を与えないように、大蛇の精を封じたと言われている。




吉田町に伝わる能満寺のソテツ伝説
家康が村村を巡視している時、能満寺でひと休みした。庭の大ソテツを見て「見事だ」と感心して「このソテツを欲しい」と和尚に頼んだ。和尚は家康のことゆえ断わり切れず、さしだすことにした。
そして、住吉の浜まで運び、船に乗せ清水の港に陸上げして駿府城に届けた。それから2・3日経ったある夜、家康は物音に目を覚ました。庭の方で、ぼそぼそと声がする。不審に思って「誰だ、そこにいるのは」と声をかけた。誰もいない。
次の夜も、次の夜も同じような声がする。とうとう、この噂は城中に広まってしまった。声の出所を確かめてみるとどうもソテツの中である。静かに耳を澄まして聞くと「いのー、いのー」と言っているようだ。家康が学者に聞いてみると「いのーというのは、行こう、帰りたいということではないかと思います。」と説明する。家康は「やっぱりそうだったのか」とうなずき、ソテツの心根を哀れに思い、「そうかそれほどまでに帰りたいのか。残念だが帰してやろう」といって能満寺に帰した。
能満寺に帰ったソテツは、その後、泣くこともなく、すくすくと成長したということである。

明治時代初期の木版画